終戦前日の1945年8月14日付の読売報知新聞は、長崎に投下された原子爆弾(当時は新型爆弾と呼ばれた)のことを、「恐れることはない」と報道しました。
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長崎県庁前で被爆した読売記者の報告を、「案外 小さい爆発音」という見出しで次のように伝えています。
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長崎県庁前で被爆した読売記者の報告を、「案外 小さい爆発音」という見出しで次のように伝えています。
- 青白い光がピカリと光った。中くらいの稲妻の程度の光で、強いと思わなかった。
- 私は、あっ"新型"だとピンと来た。私は冷静に、持っていた書籍を頭上に置いて身を守った。
- すると、2~3秒おいて"どん"と来た。東京で聞いた爆弾の音よりも小さい音だった。
- 地震のように大地が割れたと言う人がいたが、あれは嘘である。
- 古い家屋は二、三軒ほど倒れたが、しっかりした建物は木造でも大丈夫だった。
- 爆風の通り道を作って建物の破壊を防ぐために、障子を明け放しておくとよい。
- 死者や重傷者は爆風によるもので、素早く待避した者は命に別状はない。
- 火傷は肌が露出した部分だけであり、着衣の下は別条はない。
- 新型爆弾が投下されたら、物陰か路上に"伏せ"をすれば身を守れる。
- 新型爆弾の輻射熱は爆風より恐ろしくない。
- 新型爆弾は直接に火災を招くものではない。多少なりとも隠れれば、すぐに人命を奪うということはない。
驚くべき内容です。原子爆弾の被害は、こんなに軽微で呑気なものではありません。爆風と熱線は一瞬にして鉄筋コンクリートの建物をも破壊し、広範囲を壊滅させます。
当時は「空襲は怖くない」と国民に思わせるための厳しい言論統制があり、原爆の被害をリアルに報道することは禁止されていたのです。
なお、記事中に「待避」という言葉があります。「退避」ではなく「待避」です。防空法により空襲からの「退避」は禁止されており、空襲直後に飛び出して消火活動するための一時的な「待避」だけが許されていたのです。
詳しくは・・・

この書籍で、戦前から終戦までの情報統制、そのなかで沖縄や広島・長崎の惨状はどのように隠されたか、数多くの資料を示して紹介しています。
大前 治 著 (合同出版 刊)
「逃げるな、火を消せ!――戦時下 トンデモ 防空法」
*Amazon
*楽天ブックス
*紀伊国屋書店
*honto(ジュンク堂、丸善、文教堂)
*e-hon
*7net(セブンイレブン)
「空襲は怖くない、逃げずに火を消せ」という防空法については、下記の記事もお読みください。
*講談社 現代ビジネス
「10万人死亡・・・東京大空襲の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか」
「空襲から絶対逃げるな・・・トンデモ防空法が絶望的惨状をもたらした」
当時は「空襲は怖くない」と国民に思わせるための厳しい言論統制があり、原爆の被害をリアルに報道することは禁止されていたのです。
なお、記事中に「待避」という言葉があります。「退避」ではなく「待避」です。防空法により空襲からの「退避」は禁止されており、空襲直後に飛び出して消火活動するための一時的な「待避」だけが許されていたのです。
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