2018年08月

「大阪空襲訴訟を伝える会」が新しいチラシを作成されました。

【表面】
・不十分な見舞金ではなく、「心からの謝罪」と「本当に納得できる救済法」を
・いま検討中の法案では、分断や悲しみがもたらされます
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【裏面】
・藤原まり子さんのインタビュー
 「戦争被害は耐え忍べ」――まさかの論理
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全国の空襲被害者と連帯する新しいホームページを立ち上げました。
「全国空襲連」と名乗る人々とは一線を画して、「1人50万円という安すぎる見舞金ではなく、納得できる謝罪と補償を」と求めていきます。
これまでの報道・記事を紹介していますので、ぜひお読みください。


 こちらの新聞記事も、お読みください。
 http://kusyu-higai.blog.jp/archives/386955.html

NHKが大阪空襲訴訟などを取材して放送された番組「逃げずに失われた命」。その番組紹介のページです。
空襲被害者が「空襲から逃げることができなかった」という痛苦の体験を語り、その背景には「逃げずに火を消せ」という防空法があったことを掘り下げています。
大阪空襲訴訟の入廷シーンも掲載。ぜひ、お読みください。


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講談社「現代ビジネス」に、空襲被害者の救済についての論稿が掲載されました。
なぜ空襲被害は日本政府の責任なのか、諸外国では軍人ではない一般市民への補償は行われているのか、財源はあるのか・・・。珍しい史料やデータを紹介しながら幅広く論じています。
ぜひお読みいただき、拡散・転送してください。
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【目次】
 ・戦後73年目を迎えた空襲被害者
 ・同じ障害でも、元軍人だけが補償される
 ・なぜ元軍人だけを補償するのか(雇用関係論)
 ・戦争損害受忍論の不合理性
 ・諸外国では、軍人・民間人の区別はない

* 
8月15日付
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【目次】
 ・一般市民も「命を捨てろ」と命令された(防空法)
 ・「空襲の被害は軽微」という虚偽情報を流布
 ・戦時中は被災者援護の制度があった
 ・軍人以外への補償も拡大されてきた
 ・財源はある――軍人恩給の減少分を回せる

このほか、下記の記事もぜひお読みください。





*空襲被害を考える会
 
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2018年8月14日、東京MXテレビで、空襲被害者の現状と、補償を求める運動を追跡したニュースが放送されました。2018年6月17日に死去された空襲被害者・星野弘さんのインタビューもあります。
ぜひご覧ください。

◆動画を視聴できます。

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2018年8月14日の午前10時20分から、大阪の京橋駅前で「大阪空襲訴訟を伝える会」が街頭宣伝をしました。
京橋は、73年前(1945年)の同じ日に、「終戦前日の空襲」を受けた場所です。身元の分かった死者だけで約200体、実際はそれ以上の犠牲者が出たと言われています。
二度と戦争と空襲の被害者を生み出さない願いを込めて、「空襲被害者の救済を」と訴えてチラシを配布しました。

※ 左は小林英子さん(その後ろは弁護士の杉山彬さん)、右は安野輝子さん。
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↓ この街頭宣伝の様子は、昼のニュースで放送されました。(関西テレビ)
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2014年3月13日の朝日新聞です。
大阪空襲訴訟の原告・谷口佳津枝さんのお母さんが、空襲のとき「子どもだけで逃げなさい。親は家を守らないとあかんから」と言い、自宅に残って焼け死んだという話が紹介されました。
NHKの朝ドラ「ごちそうさん」では、主人公の夫が「空襲のときは逃げろ!」と言って逮捕されました。
そうした背景に、「逃げるな、火を消せ!」という防空法と、「空襲の火災は怖くない」という情報操作・言論統制がありました。

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記事を全文読むには、こちらのページへ。

大阪空襲訴訟の判決をご存じですか?
戦時中の空襲で被害にあった23名が日本政府に謝罪と補償を求めて提訴し、2011年~2013年に大阪地裁・大阪高裁が相次いで言渡された判決です。
残念ながら敗訴となりましたが、その判断内容は司法史に名を残す画期的なものでした。
ぜひ、下記のページをご覧ください。
http://osakanet.web.fc2.com/osaka-kusyu/hanketsu.html
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2018年3月10日(土)、大阪大空襲の日の集いが開催されました。
プログラムは、高校生による朗読劇「私たちの『火垂るの墓』」の上演と、空襲被害者のお話です。毎日新聞でも報道されましたので、その記事をご紹介します。

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大阪大空襲 73年 失った足 「国の補償ない」
 生後すぐ大やけど 阿倍野で証言集会 /大阪


毎日新聞2018年3月11日

1945年3月13日深夜から14日未明にあった米軍による第1次大阪大空襲から73年を迎えるのに合わせて、空襲体験者による証言集会が10日、大阪市立阿倍野区民センターであった。
来場した約50人が、空襲で被害を受けた男女4人の証言に耳を傾けた。

空襲体験者らでつくる「大阪空襲訴訟を伝える会」の主催。
第1次大空襲に遭った浜田栄次郎さん(88)と藤原まり子さん(72)や、45年6月7日の第3次大空襲に遭った小林英子さん(84)、45年7月に鹿児島県で空襲を受けた安野輝子さん(78)の4人が証言した。

藤原さんは空襲が始まる約2時間前に生まれたばかりだった。
その空襲で左足に大やけどを負い、後に手術で切断している。
「誕生日はけがをした日。喜ばしいことは全然ない」と話した。

◇救済法案14回廃案
集会では超党派の国会議員連盟が、空襲で負傷した障害者に一時金を支払う法案の提出に向けて活動する現状が報告された。
しかし、70、80年代に同種の救済法案が計14回提出されたが、いずれも廃案になっている。
藤原さんは「生まれてすぐに空襲を受けて苦しんできましたが、いまだに国の謝罪や補償はない。実現に向けて頑張りたい」と語った。

証言の前には、私立大阪暁光高校(河内長野市)の生徒ら約10人が空襲や戦争を題材にした創作劇を披露。生徒たちは昨夏に第8次大空襲を受けた大阪城周辺などの戦争の痕跡を巡ったり、安野さんら戦争体験者の証言を聞き取ったりして学び、感じたことを劇にしていた。
劇では「戦争の事実を学び、平和を考えれば、世の中は変わると思う」と訴えていた。
(宮本翔平記者)

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