2017年8月4日付の朝日新聞の「社説余滴」欄に、中野晃記者による論説「耐え忍ぶ時代はいつまでか」が掲載されました。ぜひ、お読みください。
( ↓ クリックすると拡大されます)

*e-hon(お近くの書店で受取OK)
*honto(ジュンク堂・丸善・文教堂で受取OK)
*Amazon *楽天ブックス
*空襲被害を考える会
FaceBook
Twitter
ブログ
( ↓ クリックすると拡大されます)

【社説余滴】 耐え忍ぶ時代はいつまでか
朝日新聞 2017年8月4日付
戦後72年。被害者はまだ耐え忍ぶしかないのか。
民間の空襲被害者を救済しようと、先の通常国会で超党派の議員連盟が、身体障害のある空襲被害者に一時金を支給する法案作りを進めた。
私は論説委員室の会議で「立法の動きを評価しつつ、被害者を長年放置した国の責任を社説で問いたい」と提案した。同僚から「戦前の続き争被害は多様だ。国民全体が被害者とも言えるなかで、対象外の人たちをどう考えるべきか」「財源、つまり国民負担の問題もからむ」といった指摘があり、議論がまとまらないまま採用されなかった。
私は、空襲被害者の救済策の不在が、国の今の施策にもつながっていると考える。
有事に備えた国民保護法は、損害の補償対象を、国や自治体の要請に協力した人が死傷した場合に限っている。「国に尽くしての被害でなければ耐え忍べ」ともとれる発想は、戦後補償への姿勢と通底しているのではないか。
国は、軍人・軍属やその遺族には、恩給や、戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく年金を支給したが、民間の被害には冷たかった。戦争被害者に対する施策では、広島・長崎の被爆者援護法、シベリア抑留者への一時金支給があるが、これらは当事者が国に賠償を求めて裁判に訴えるなどし、法整備を促した結果だ。国は当初は後ろ向きだった。
空襲被害者の救済では1970~80年代、野党が援護法案を出したが、成立しなかった。被害者が各地で国に賠償を求めた訴訟も敗訴した。
この通常国会でも結局、会期中に法案は出されなかった。空襲被害者の集団訴訟で代理人を務めた大阪の大前治弁護士は「戦争での犠牲は我慢するしかないという発想を今も多くの国民が許容しているようにみえる」と語る。
空襲被害者を救う法制度は本来、国が責任をもって整備すべきではないか。
国は1937年に防空法を制定。41年の太平洋戦争突入直前の改正で国民に空襲時の避難禁止と消火義務を課した。「退くな、逃げるな、必死で消火」「焼夷弾には突撃だ」。東京大空襲前の44年、都内にはり出された標語だ。
「国が起こした戦争で傷つき、戦後も長年強いられた心身の痛みを考えてほしい」。6歳の時に空襲で左足のひざ下を失った安野輝子(あんのてるこ)さん(78)=堺市=ら被害者の70余年の苦難に、政府や国会そして社会は思いを致すべきだ。
(なかのあきら・社会社説担当)
=========================
上記の記事中でも紹介された「大阪空襲訴訟」の記録です。ぜひ、お読みください。
*紀伊国屋書店=========================
上記の記事中でも紹介された「大阪空襲訴訟」の記録です。ぜひ、お読みください。
*e-hon(お近くの書店で受取OK)
*honto(ジュンク堂・丸善・文教堂で受取OK)
*Amazon *楽天ブックス
*空襲被害を考える会
ブログ